映画『シン・ゴジラ』を観た話
『シン・ゴジラ』を鑑賞しました。
人気アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明氏の監督作品です。
初代ゴジラを21世紀の世の中で作るとこうなってたかな、という印象。
初めから最強のゴジラではなく、"ゴジラに成る" というのが新しく、面白いですね。
全編通して、ゴジラという脅威に人類がとまどいながらも抗い続けるストーリーでした。序盤はあたかも日本の防衛システムをあざ笑うかのような展開で進みます。
早期対応ができていれば、あるいはゴジラの進行を止められたかもしれませんが、フットワークの重さからゴジラに対して "ゴジラに成る" 時間を与えてしまいました。
日本の国際的立ち位置が妙にリアリティがありますが、はて、実際のところはどうなんでしょうねぇ。「 ´Д`)「
作中で日本に差し迫る危機が、ゴジラそのものよりも人類の行為であるのが何とも皮肉です。
そして、その危機を回避するために奮闘するのが、いわゆる "ルールに則った優等生たち" ではなく "ルールに縛られない鼻つまみ者集団" だったのもパンチが効いてました。
終盤で庵野監督の大好き(?)な神様もちょろっと見えた気がしましたが、気のせいでしょうかねぇ。「 ´Д`)「
ゴジラファンだけでなく、庵野氏の作品がお好きな方も楽しめると思います。
他にも色々感じた事や思うことがありますが、それは別なところで語りたいと思います。
こちらもぜひご覧ください。↓
ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ [ 庵野秀明 ]
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シン・ゴジラ音楽集 [ 鷺巣詩郎 ]
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送る話
先日の「知人が立案した共通の知人の記念日に何かしよう企画を友人が交友関係に広めた件」について、本日、作成したものを友人に郵送しました。
あとは、友人が何とかしてくれるでしょう。
この企画に乗って色々と作業している間、悶々と考えていたことがあります。
果たして、自分は誰のためにこれをやっている?
これです。
普通に考えれば、記念日に係る "共通の知人" であるはずです。
しかし、"共通の知人" は私との間にやや壁を作っているような感じで、積極的なコミュニケーションは避けられている印象です。
実際、物理的にも距離を置かれます。
できるなら気まずい雰囲気はなくしていきたいとは思うものの、私も人の子なので、露骨に避けられればあまりいい気分はしません。
そんな "共通の知人" のために時間と労力を割いて、記念日に向けた作業を行ったのは一体何故なんだろう、と自分で自分が不思議になりました。
考えた末、結論が出たわけではありませんが、もしかすると、
共通の知人のために何かをしようとする "知人" のために動きたかったのかもしれない。
……ということに思い至りました。
うーん、これでいいのかなぁ。
そんな心持ちでやっていいのかなぁ。
記念日は神聖なもののはずなのになぁ。
いろんなことが頭を巡りながらの作業でした。
実際に "共通の知人" に情報が伝わり、そのレスポンスを見たときにまた気持ちが変わるかもしれません。
今はとりあえず、今のままで感じおくことにします。
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常に見ていた話
「変化」を恐れているんだなぁと実感したのはつい先日のことでした。
この度、より深く、恐れているものを掘り下げる機会がありました。
そもそも「変化」とは、今の自分の仕事上のことです。
転職というほどに大きい変化ではないので、人によってはほとんど気にすることもないかもしれません。
ただ、自分にはそれがとてつもなく大きなことに感じられたのです。
「変化」とは、今よりもちょっとだけ拘束時間が増えて、仕事上の責任がちょっとだけ大きくなることです。(取り方によっては「昇進」に思われるかもしれませんが、そんな大層なものではありません)
仕事内容は変わりませんが、仕事に対する関わり方が、今まで以上にかっちりしたという感じでしょうか。
それが、転職前の状況に近づくことになった。
多分、恐怖の原因はそこにあります。
前職では、人間関係に疲れ果てたところがありました。
どうしても相性の合わない人が上にいたのです。
数年間、1日の大半を上司の顔を伺いながらビクビク過ごす日々でした。
そこを辞めて数年、環境が変わり、気持ちは落ち着きました。
新たな仕事も始め、それで生きがいを感じるようにもなりました。
新たな仕事は、収入は安いものの、人との関わりや拘束時間は多くなく、自分のペースで進められるものでした。
なのでストレスも少なく、これなら続けていけると思っていました。
しかし、世の中の変化に合わせて組織も変わるもの。
私自身も変わる時期が否応なしに近づいてきたのです。
昔の上司の顔色を伺い、怯えきっていた自分が思い起こされました。
その頃に感じていた、会社にいても家にいても、何をやっていても常に何かに追い詰められているような感覚が思い起こされました。
何年も経つのに、もう大丈夫と思ったのに、当時の傷跡が自分が思っている以上に根深いものだったのかもしれません。
現在の仕事は業種も違うし、関わる人も全く違う人たちです。
前職との関わりは完全にゼロです。
なので、今ある不安や恐怖は、おそらく全くの杞憂です。
それでも、私は在りもしない目を恐れ、居もしない誰かの顔色を窺っているようです。
時間をかけて、自分の中で折り合いをつけていくしかないのかもしれません。
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見えなくなる話
先日の「知人が立案した共通の知人の記念日に何かしよう企画を友人が交友関係に広めた件」について、実は妻も友人の交友関係にあって、企画に参加しています。
昨日のこと、その友人から企画の締め切りについての連絡がありました。
記念日に合わせての企画なので締め切りはあって然るべきですが。
思いの外、近い日程でした。(^^;)
「あー、これは早めに作業しなければなぁ」と思って、妻にも作業進捗を尋ねつつ、自分の作業を始めてしまいました。
ただ、この日、妻は気力低迷気味で、早めに寝たいと言っていました。
それなのに、私は作業を始めてしまいました。
妻も一緒になって始めようとしてくれました。
後にして思えば、そんなことをせずに妻に早く休んでもらうのが良かったです。
私もそのように動くべきでした。
回りが見えなくなってました。
冷静な目を意識していきたいと思います。
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描いて書く話
おめでたいものを描いて書きました。
知人の共通の知人の記念日に向けて何かしよう!という計画に乗った友人が、広く交友関係に話を広げました。(ややこしいですが、今のところ登場人物は "知人"・"共通の知人"・"友人" の3名です)
その友人の交友関係の1人に私も含まれたので、話に乗ることにしました。
ただ実は共通の知人は、私の気のせいかもしれませんが、私のことを苦手に思っているように感じます。
私としては、できるなら気まずい雰囲気を払拭できればなぁと思っています。
なので、私からは距離を置くようなことはしないでおこうと思います。
昔取った杵柄で、イラストの真似事ができます。
イラスト付きでおめでたい雰囲気を演出しました。
さて、どうなりますかねぇ。
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