「いやいやいや、そうは言うがな」って思う話
今、この瞬間、私に備わっている能力。
・仕事上のスキルいろいろ
・イラスト(趣味)
・踊り(道楽)
・情報機器(道楽)
いろんな形で披露する機会があります。
そして、度々褒めて頂くこともあります。
それが社交辞令だとしても、褒められれば嬉しいと思うのが人情です。
ただ少し、その中で気になる言葉が。
「あなたには簡単でしょうけど」
「それはあなただからですよ」
と。
いえ、今この瞬間について言われるのだったらわからなくもないのですが、過去の私についても同様に言われるのが解せないのです。
例えば、高校受験。
進学校といわれる高校に在学していましたし、そこに入れるだけの成績を中学時代に有していたのは事実です。
3年生に上がる頃には、定期試験で平均90点近くを得点できていましたが、それが最初から当たり前にできていたかといえばそうではありません。
中学1年生の最初の定期試験で、全教科で60点台でした。
小学校までは90点以上が当たり前で、中学に入ってもそれくらいはいけるだろうとタカをくくっていた小童だったわけです。
いわゆる "中1ギャップ" にハマっていました。
当時の私は運動が全くできず、口下手で人ともうまく話せませんでした。
そんな私が、自分の存在を保つのに必要だったのが、学業成績を追求することだったわけです。
中1の春先で、ものすごい危機感に襲われたわけです。
(当時は中学校も3学期制だったので、5月半ばに中間試験でした)
このままじゃ、自分が自分じゃなくなる。
大げさではなく、本気でそう思いました。
冗談抜きで、「勉強しなければ死ぬ」くらいの感覚でした。
13歳当時の私には、本当に勉強しかなかったのです。
中間試験での衝撃から、わからない問題があると是が非でもわかろうとしました。
いつでも何でも解けるようにならないと安心できなくなっていました。
次の期末試験では、80点台に乗りました。
まだ足りない、そう思いました。
夏休みに突入して、それまでに理解が不足していた部分をゼロにしました。
そうしないと不安で仕方がなかったからです。
予習もしました。
先を知っておくことで、少しでも安心材料を増やしたかったからです。
2学期の中間試験で90点台に乗りました。
そこで思ったこと。
なるほど、このやり方なら自分を保てる。
私にとって勉強は、「自分を保つ方法」でした。
だからこそ、全力で取り組めた。
というより、全力で取り組むしかなかったのです。
2学期の期末試験までその取り組み方を維持し続け、90点台を2度連続で達成しました。
その頃になると、その取り組みが習慣化していました。
さほど強い危機感を感じなくても継続できるようになっていました。
例示が長くなりましたが、できるようになるまでに何事もなかったわけではなく、それなりの背景があって、今の力が身についているわけです。
当時の私は平凡な中学生であって、今の私の経験値は持っていません。
それを、当時のことについてまで「それはあなただからですよ」といわれても、いやいやいやいや、そうは言うがな、あんたw って気持ちになります。
人が持つスキルは、身につけた時間を軽んじてはいかんと思う次第です。
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