過去の嫌な記憶と重なる話
生み出せず苦しみ、追い立てられて半ば無理矢理生み出したものがイマイチで苦しみ、この先もずっとイマイチなものに悶々とするのかと思い気が滅入ったあのときと重なる。
でもあのときとは違う。
一緒に考えてくれる人がいる。
頑張ろう。
「 ´Д`)「
無から有を生む話
新規のデザインは、イラスト描きとは違いますね。
振付師とダンサーがそれぞれ別個に存在するのと似ています。
長く踊ってきた人の多くが斬新な振りを開発できるかといえば、そうでもありませんね。
長く振りそのものを考え続けてきた人が開発できるのだと思います。
ああ難しい。
こんな新規デザインを思いつけない理由を書いている暇があったら、デザインを考え続けろというお話ですね。
“考え続けた経験” を許された期間で積むしかないのです。
「 ´Д`)「
最初に打ち出しておいてくれという話
色々な発想が、浮かんでは消え浮かんでは消え。
時間が無為に流れていくような感覚。
“変化”の振り幅が大きくないと意味がない。
昨年末からあった自分の中のベースを一度解体し再構築したあとで組み上げることの難しさをひしひしと感じる。
でもできるはず。
やってやれないこともなし。
「; ´Д`)「
本当に後で悔いた話。
一時の感情で好機を逃さないために見極めること。
そのとき一番大事なのは何かということです。
一時の感情(怒り、反発、不貞腐れなど)で、逃さずに済んだはずの好機を逃してしまうと、悪ければ一生涯の後悔に繋がります。
あなたのその感情、押し通すことに本当に価値がありますか?
_ ´Д`)_
(自戒を込めて)
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妻が手帳を探す話
妻が手帳を探しています。
どうやらこれなのですが、ポイントカードのある文具店で買いたいらしく、通販は利用しないのだそうです。
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こだわりを貫くのも良いけど「それは違うんじゃないかなぁ」と私が感じた話
踊りのイベントが近づいています。
あと2週間ちょっとです。
大勢で隊列を組んで踊る演目があります。
先日参加希望者の最終意思確認を取り、立ち位置調整まで進めました。
その後、キャンセルが出ました。
理由は踊りの「練習不足」だそうです。
本番の3週間くらい前でしょうか。
その連絡がありました。
冠婚葬祭、自身や家族の体調不良など、止むを得ない事情であれば納得できます。
ですが、何でしょう。
モヤモヤします。「練習不足」。
不足してるなら練習すれば良いんじゃないですか?
と思ってしまいます。
立ち位置の再調整は、実は骨が折れる作業です。
自分で参加すると決めて、立ち位置を割り振られて、期日が近づいてから「やっぱりやめます」は、はっきり言って この上なく迷惑な話です。
学校や職場のレクなどで演劇などやる際に、配役も決まって、練習も進んでいる中で、「台詞覚えられないからやめます」など言い出したら、総スカンですよね。
これは私の想像ですが、「自分の踊りが見せられるレベルにないから出られない」「拙い動きで、全体を乱すといけないから出られない」という、自分以外のところで "こだわり" を持っているようにも思います。
ただ、それはプロのダンスグループならいざ知らず、趣味・道楽で踊っている素人集団では「参加すること」にこそ意義があると思うのは私だけでしょうか。
その "こだわり" はあって悪いものではないですが、直前放棄に伴う弊害と天秤にかけても重視すべきことなのか、私にはとても思えませんでした。
あくまでも私の考えなので、是非を押し付けることはできません。
でも、書かずにはいられませんでした。
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